2001(平成13)年3月に京都の鳩居堂の七代当主、熊谷直孝氏を写した肖像写真が京都市有形文化財に指定されました。
撮影者は淡海槐堂といい(右の写真)、現館主の高祖父になります。壁に掛かっている羽織の紋は醍醐家の法被印の「花菱」と思われます。
その写真の由緒書きには1859(安政6)年に槐堂が撮影したことの記述がありこの2年前には日本人が撮影した最古の写真である「島津斉彬像」が写されています。
槐堂は幼くして本町五条の薬種商の武田家に養子に迎えられ、長じては実弟の江馬天江らとともに勤王家として国事に奔走しました。
志士たちとも交流があり、なかでも坂本龍馬とは親交が深く龍馬が近江屋で遭難したとき床の間に掛かっていた「梅椿図」は槐堂の自筆で龍馬の誕生祝いとして贈ったものでした。(国重要文化財)
※子母澤寛の小説「新選組始末記」に「五条橋東で小児薬のおけや薬というのを売っている板倉筑前之介(醍醐家の臣)は、勤王の志士に交わりが多いので」とありまた「噂によると、朝廷へ一万両を献じ、藤本鉄石の天誅組へも、少なからず軍費を差し出したということであった。」ともあります。当時の会計官の一万両
受け取りの覚書が現存します。
一方、進取の気性の人で長崎から暗箱(写真機)や時計を取り寄せたりしていました。
維新後は文人生活を送り、かの富岡鉄斎と書画を合作したり文人仲間と煎茶会を催したりして余生を過ごしました。
篆刻が趣味で鉄斎翁の落款印を数多く作っています。
淡海槐堂(1822~79) 贈正五位 醍醐家家臣(当時は板倉筑前介を名乗る)
京都霊山護国神社に顕彰碑 墓地は京都知恩院勢至堂内